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文人・作家 (小説・随筆・詩・他)

名前 生年~(没年) 作品ジャンル・代表作 活動履歴等

 盛岡市 | 盛岡市玉山区 | 八幡平市 | 雫石町 | 岩手町 | 滝沢市 | 紫波町


盛岡市
細越 夏村 1884~1929 随筆・詩 盛岡出身。1906年、詩集「霊笛」、以下6冊発行、1920年岩手文化協会設立。小説・随筆、未刊詩集36巻がある。
富田 砕花 1890~1984 短歌・詩 盛岡出身。1912年歌集「悲しい愛」出版。1915年詩集「末日頌」出版。ホイットマンの影響を受け、民衆詩派を称する。
加藤 健 1908~1945 盛岡出身。1931年「詩集」以降10冊の詩集を刊行。1941年第8詩集「記録」で日本詩壇詩人賞受賞。
村上 昭夫 1927~1968 大東町出身、盛岡を中心に活動。1954年岩手県詩人クラブ結成会員になる。1959年詩誌「La」の会入会、「動物哀歌」として作品発表。1967年土井晩翠賞、1968年H氏賞受賞。
小田島 孤舟 1884~1955 詩歌 1908年岩手新詩社を浄法寺町に起こす。1909年「曠野」発刊。盛岡で教鞭を取る傍ら、詩歌を中心に文壇活動を行う。1917年「郊外の丘」以来歌集は15集9800余首。1945年文芸功労賞受賞。
原 抱琴 1883~1912 俳句 原敬の甥。1899年俳句結社「杜陵吟社」創立。俳誌「紫苑」選者。「ホトトギス」に投稿、正岡子規に評価される。
宮野 小提灯 1895~1974 俳句 1930年俳誌「夏草」創刊、山口青邨を選者に迎える。1944年、「山鳥句会」を主催。1957年句集「矮鶏」刊行。1958年岩手日報文化賞受賞。
下山 逸蒼 1879~1935 俳句 盛岡出身。1903年渡米し、各新聞紙上に投稿。1922年「新世界新聞社」入社。
野辺地 天馬 1885~1965 童話作家 1917年児童講談社を興し、少年少女文学誌「虹」を創刊。1919童話集「金の鈴」発行。
鈴木 彦次郎 1898~1975 小説・随筆・戯曲 6才から盛岡に住む。1924年、川端康成、今東光らと雑誌「文芸時代」を創刊。1947年県立図書館長、1954年県教育委員会副委員長などを歴任。1963年市政功労者表彰、1970年勲4等端宝賞受賞。盛岡文士劇開催の中心的役割を果たした。
山田 美妙 1868~1910 小説 1886年「新体詞選」・「嘲戒小説天狗」により新体詩人、言文一致体の先駆者となる。1892年、日本初のアクセント付国語辞典「日本大辞書」を刊行。
野村 胡堂 1882~1963 作家・音楽評論家 紫波町出身。盛岡中学卒業。1931~1957、「銭形平次捕物控383話を書く。「あらえびす」のペンネームで音楽評論を行う。1960年、紫綬褒章受賞。1963年、私財を投じ「野村学芸財団」を設立。
山口 青邨 1892~1988 俳句 盛岡市出身。高浜虚子に師事、水原秋桜子や高野素十らと東大俳句会を設立。俳誌「ホトトギス」の同人としても活躍。俳句雑誌「夏草」と宮野小提灯らとともに創刊し、郷土俳壇の育成に貢献した。
金田一 京介
1882~1971 俳句・詩・辞書監修他 盛岡市出身。与謝野鉄幹主宰の「明星」の同人。石川啄木とは盛岡高等小学校からその死まで親交が厚かった。アイヌ叙事詩の存在を明らかにし、戦後は国語審議会委員として現代かな使い制定に貢献。多く辞書や教科書の編・監修者として知られている。
石川 啄木
1886~1912 詩人 盛岡市玉山区(旧玉山村)出身、盛岡中学中退。岩手公園、天満宮などを良く訪れていた。1905年詩集「あこがれ」刊行。1907年北海道に渡る。1908年上京。1910年「一握の砂」1912年「悲しき玩具」の2歌集で評価を得る。
宮沢 賢治
1896~1933 詩人・童話作家 花巻市出身。盛岡で13歳から22歳までを過ごす。1923年花巻農学校教諭。1924年心象スケッチ「春と修羅」、童話集「注文の多い料理店」刊行。1926年羅須地人協会設立。
高橋 克彦 1947~ ミステリー作家 盛岡市在住。昭和58年「写楽殺人事件」で江戸川乱歩賞受賞。その後も数々の新人賞や協会賞を受賞し、平成4年「緋い記憶」で直木賞受賞。浮世絵研究家としても知られる。「炎立つ」「アテルイ」「火怨」など数々のヒット作品がある。
斎藤 純 1957~ ミステリー作家 1988年「テニス、そして殺人者のタンゴ」でデビュー。「モナリザの微笑」「オートバイ・ライフ」「ル・ジタン」など著書多数。日本ペンクラブ理事。
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盛岡市玉山区
石川啄木
1886~1912 詩・短歌・俳句・小説「あこがれ」「悲しき玩具」 盛岡市玉山区(旧玉山村)出身。一時、故郷・渋民の小学校で教鞭を取る。26歳の生涯の中で,厳密な目と鋭い感性を持ち,日常生活の中から多くの新しい歌を編み出した。
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八幡平市
香川 弘夫 1933~1994 詩人 20歳を過ぎてから詩作を始め、1959年には県詩人クラブ賞を受賞した。幼少期に発病した脊椎カリエスで体が不自由だった。町内で時計店を営む傍ら、地元の風俗を題材に、土俗性の強い詩を書きつづった。代表作は、「わが津軽街道」。
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雫石町
宮澤賢治
1896~1933 屈折率・注文の多い料理店、詩集・童話 雫石町は、賢治の作品に数多く登場する。中でも詩作第一号といわれる「屈折率」が有名。他にも賢治処女詩集「春と修羅」に収められている交響詩「小岩井農場」や、「注文の多い料理店」に出てくる狼森・笊森など、賢治の作品は雫石町に縁があるものが多い。
石川啄木
1886~1912 雫石町にある岩手山 御神坂登山口には、「岩手山秋はふもとの三方の野に満つる蟲を何と聴くらむ 」という啄木の歌った歌碑がある。
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岩手町
下山 清 1902~1931 短歌「みみしいの我にわかねど空翔くるかの小鳥らはさやに鳴くらむ」 片目、両耳の機能を失いながら、天分の才能で、格調高い短歌を作った
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滝沢市
木村泰賢 1881~1930 印度六派哲学 阿毘達磨論の研究 など 東京帝大卒業後、欧州留学。帰国後、文学博士の学位を受け東京帝大教授。印度哲学及び仏教学の泰斗として世界的に令名を馳せた。
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紫波町
野村胡堂
(のむらこどう)
1882~1963 作家・音楽評論家 紫波町出身。新聞社に勤めながら「親分ていへんだ~」で有名な「銭形平次」の執筆活動を始める。音楽評論家(ペンネーム あらえびす)としても有名で1万を超えるレコードを収集。紫波町名誉町民の1人。
巽聖歌
(たつみせいか)
1905~1973 詩・童謡「セミを鳴かせて」「たきび」 紫波町出身。児童文学者でもあり、民間児童への教育活動に情熱を注ぐ。新美南吉等の才能を発見し世に送出す。紫波町名誉町民の1人。
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